こんにちは!今話題の「鬼滅の刃」に、激ハマりの江口です。
先日「やっぱりそうだよね!」と改めて認識できた経験をしたので、お伝えできればと思います。
それは、何かというと…たとえ同じ内容であっても、いつ、誰に言われるかで、「受け止め方が変わる!」という経験です。
いつも、いっていることと同じなんだけどな
皆さんはこんな経験をしたことはありませんでしょうか?
たとえば、研修講師を外部の方に依頼をした際、あたかも初めて聞いたかの如く、部下が頷いている。
そんな部下の姿をみて
「いつも、自分が言っていることと同じなんだけどな~」
と。
私自身も上司にそのように思われた経験をしたことがあります。
上司からの「研修どうだった?」という質問に対して「いや~こういう考え方があったんですね。学べて良かったです!」と、答えていたのです。
今思えば、上司がとても悲しい顔をされていたなと…。
どんな状況でも、自分で選択すること
つい最近の出来事ですが、思い通りに上手く進まない中、ネガティブな感情になり、上手く前に進めない場面に出くわしました。
私たちは「7つの習慣(R)」研修を生業にしているので、刺激と反応の間には「スペース」があり、
どんな感情も選択が出来る!と知っています。
また、基本的には前向きな私ですが、それでも、ネガティブな選択から抜け出せずにモヤモヤしていたことがありました。
そんな中、先日息子と共に「鬼滅の刃」を劇場に観にいくことに!
ネタばれにならないように…とは思いますが、煉獄さんのあり方に、とても学ばせて頂きました。
※「鬼滅の刃」の映画をこれから鑑賞予定の方は鑑賞後にこの続きをお読みください!※
煉獄さんは、物語の中で「柱」という立場、いわゆる管理職。
そんな立場の煉獄さんが、部下たちが先に緊急事態に対応しているにも関わらずまんまと敵の罠にハマり、出遅れてしまいます…。
そんなピンチの場面で煉獄さんは、全く表情を変えずに
(基本的に未来を見ているような笑顔)
「不徳の致すところ」
と、失態を認め前に進んでいったのです!
つまり
「どんなに困難な状況でも、どのような選択をするか、どのような気分でいるかを自分で選択する」をとんでもないスピードで実践していたのです。
「アニメに影響されて…」
と思われるかもしれませんがただ、その時の私にはとても響いたのです。(『7つの習慣』の原理原則は、常に触れ合っているにも関わらずです)
煉獄さんの姿を見て、私はどんな気分でいるか、自分で選択することを放棄していたのかもしれない…
と振り返ったのです。
「誰に、いつ言われるか?」
「どんなに困難な状況でも、どのような選択をするか、どのような気分でいるかを自分で選択する」
この大切さは、私自身、研修事業に携わり、なんども触れてきた内容で、しかも、伝える側ですが、煉獄さんのあり方から、今の私にすっと入ってきました。
人は反応する生き物なので、時には整理出来ないこともあるかと思うのです。
その時々で「誰に、いつ言われるか?」で、受け止め方が全然違ってくる、ということかもしれませんね。
社内で上司から部下に伝えてたとえ響かなくても、外部の研修講師だと響くようにだれから、いつ伝えるか?を変えると、学びに大きなインパクトを与えるかもしれません。
そこに、学ぶ本人の学びたいという気持ちが重なり、大きな「気づき」が生まれるのではないでしょうか。
PS
アニメではありますが、どんな経験からも学べることを感じた秋の夜でした。
以上、江口でした!