静かな違和感
お米を、ただ売る会社ではない。
産地から原料を仕入れ、精米し、炊き、加工する。「お米のメーカー」を目指す会社が、神奈川と埼玉に精米工場を構えている。
この会社は、教育を軽んじていたわけではなかった。食品安全の認証は、繰り返し教育を求める。AIBの基準にも、FSSC 22000にも、それは明確に書かれている。教育記録は、10数年前に作られたものが、法令や顧客要求に合わせて更新され続けていた。
それなのに――精米加工部の責任者には、消えない違和感があった。
「学ぶ機会が、つくれない」。
社員は自らラインに入り、設備を動かしながら製造に携わる。手が空く時間は、そこにはなかった。

気づきの構造
研修日を設けるべきなのか。社外研修に送り出すべきなのか。資料を増やすべきなのか――。
しかし現場に立つと、違う景色が見えてくる。社外研修の仕組みは、会社にあった。だが多くは、どこかへ足を運ぶことが前提だった。コロナ禍を経てオンラインの研修は増えた。それでも、現地に行かなければ受けられないものの方が多かった。工場を離れられる社員は、限られていた。でも、教育をおろそかにしていたわけではなかった。年間計画はあった。衛生教育も、安全教育も、毎年繰り返されていた。届いていなかったのは、自分の工程の「外」だった。
自分の工程しか見えない。だから、不満が生まれる。だが、その不満を誰に持っていけばいいのかも見えない。「前の工程が悪い」「他の部署が違うからできない」。視点が、自分にしか向いていない。改善の提案になるはずだった声が、誰かへの文句や、クレームに変わっていった。お互いに歩み寄れば、もっと良くなるはずのことが、そこで止まっていた。
そして、その視野の狭さは、もっと遠いところにも影を落としていた。年に1〜2回の面談で「これからどうなりたいか」と問われても、答えは「わからない」。前後の工程も、他の部署の仕事も知らないまま、自分の将来だけを描けるはずがなかった。
「管理職になりたくない」という声が、増えていた。
本当の課題は、学ぶ時間がなかったことではなかった。学んだ先に広がるはずの景色――自分の仕事の前と後、そして自分自身の数年後――が、誰にも見えていなかったことだった。つまり、学ぶ時間がなかったのではない。自分の仕事の外側を、見る機会がなかったのだ。

決め手と、実行のプロセス
必要だったのは、たった2つ。
「機械を止めずに、隙間時間で学べること」。そして「ビジネスの基礎を学ぶ教材と、自社の教育資料を、同じ場所に置けること」。
動画学習だけ、あるいは資料のアップロードだけ。単機能のサービスは多かった。両方を一つに束ねられるものは、他に見当たらなかった。
ただ、始まりはつまずきだった。
プログラムを組むこと自体で、しばらく止まった。考えすぎて、詰め込みすぎて、前に進まない時期が続いた。そこで、伴走する担当者とともに組み直した。等級ごとに求められる要件を一つずつ見ながら、8段階の階層に沿ったカリキュラムを引いていく。
配信は、四半期ごと。管理職から一般職まで、8段階の等級に紐づいた学びが、順に届くようになった。
同時に、工場に欠かせない教育も動き出した。製造中に金属反応が出たときの対応手順。食品表示。薬剤の扱い。労災対策。年間スケジュールに沿って、毎月ひとつずつ。もともとあったPowerPointの資料をそのまま教材にし、テストをセットで配信する。

配信する前に、自分で解く
この運用を担う伊藤様には、ひとつ決めていることがある。
配信する前に、自分だけに配信する。穴埋めにするか、選択式にするか。キーワードが入っていれば、正解として通るのか。――正しく理解して書いているのに、不正解になってしまう人を出したくない。
だから、新しい出題形式を使うときは、必ず一度、自分で解いてみる。見え方を確かめ、「これなら解ける」という状態にしてから、はじめて全員に届ける。
派手な工夫ではない。けれど、社員がつまずかずに受講できる土台は、この一手間の上にできていた。

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一人を、待たなくなった
変化がいちばんはっきり出たのは、時間の使い方だった。
紙で回していた頃、テキストは1部か2部しか用意できなかった。5〜6人、7〜8人と回さなければならない部署では、同時に学ぶことができない。「いつまでに終わらせてください」と書いても、期限を過ぎて戻ってくることの方が多かった。
そして、しばらくテレワークで出社していない一人のところで、資料が止まる。その先にいる社員は、学びたくても学べない。
準備し、配り、催促し、回収する。その一連が、まるごと消えた。
一人が終わらなければ次に進まない――そんな順番が、なくなった。

現場の反応
意外な人が、上位に来ていた。普段そういう話をしない社員が、進んでコンテンツを見ていた。ちょうど上司が変わったことも重なって、その社員の動きは目に見えて活発になった。業務改善に対して、意見を言う。それも、建設的に。「こうしたほうがいいのではないですか」。否定から入る人が少なくない中で、「いいですね、やってみましょう」と言える。
外部講師による対面研修を受けた社員は、半期の目標管理シートに、こう書いてきた。「これは、研修で学んだここを活かしています」。受講者からは、こんな声も届いた。「隙間時間でできるのはいいし、内容も面白い。ただ、工場は機械の音がうるさくて、聞こえない」。
――それは、受ける気があるという意味だった。会社は、環境を整える側に回った。中途入社の社員は言う。「前にいた会社には、こういう仕組みがなかったので、いいですね」。そして、2年に一度の風土調査。全社レベルで見れば、スコアはまだ低い。だが「品質」「顧客視点」、そして「協力体制・横の連携」の項目は、確かに微増していた。

まだ、途中である
受講率は、いまも課題として残っている。習慣づけは、乗り越えたとは言えない。新人教育の資料も、標準作業手順書も、まだ入れきれていない。紙で運用している部署も、社内には残っている。
それでも――これまで手をつけていなかった部署のひとつが、「やってみてもいいかな」と言い始めた。
目指しているのは、OJTだけに頼らない教育だ。「この操作をやるから、一度動画を見ておいて」と言える状態。基礎が届いた上での、現場の指導。
いろいろな場面で使うようになれば、使うこと自体が習慣になる。
ラインは、これからも止まらない。だから、学びの側が動き続ける

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