2021.04.22 2023.08.09
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足利尊氏は反逆者か人望あるリーダーか?~歴史から学ぶ「7つの習慣」シリーズ②

2021年の2月から3月にかけて23日間という大規模な山火事で話題になりました栃木県足利市出身のFCEトレーニング・カンパニーの大戸です。

幸い死傷者もなく鎮火し安堵しております。

こんなことで地元の知名度が高まるとは夢にも思ってもおりませんでした。

それまでの足利といえば「室町幕府の足利将軍」が一番の連想されるキーワードだったはずです。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史から学ぶ」というこのシリーズ、今回はそんな足利将軍家の祖である足利尊氏について書きます。

【目次】

戦い続けて将軍になった足利尊氏

尊氏は平安時代に武神と言われた源義家の子孫です。

下野の国(現:栃木県)の足利を本拠としたため足利氏を名乗るようになりました。なお、義家は源頼朝や義経の先祖でもあります。

そのため、北条氏が実権を握る鎌倉幕府においても源氏の名家としても有力な武将でした。蒙古襲来以降、鎌倉時代末期になると武家は困窮し、北条氏による独裁体制に不満が高まっていました。

そこを突いたのが後醍醐天皇です。

後醍醐天皇は武家から朝廷に権力を奪回するため、幕府に戦いを挑みました。

この戦いに楠木正成などの近畿地方の武将が加わります。幕府はその鎮圧のため尊氏らを大将として派遣。

しかし、突如尊氏は天皇側に寝返り、京の幕府軍を全滅させます。

一方その頃、幕府の本拠地である関東では尊氏と同じく源氏の新田義貞が鎌倉を攻略し、ついに幕府を滅ぼしてしまいました。

後醍醐天皇は念願の天皇中心の政治(建武の新政)をスタートさせます。

しかし、天皇は公家を重宝し、幕府軍との戦いで活躍した尊氏などの武家には期待した恩賞が与えられません。また、新政は武家だけではなく一般の民衆にも評判が悪く、世の不満が高まっていました。

武家政権再興を望む声に推され尊氏はついに立ち上がります。今度は後醍醐天皇側と対峙することになったのです。

この国を二分する戦いの中で朝廷も南北朝に別れ、約50年も混沌とした時代に突入しますが尊氏は後醍醐天皇側に勝利しついに征夷大将軍に任ぜられ、初代将軍として京都から日本を治めるようになりました。

これが、その後約230年続く室町幕府です。

簡潔に尊氏の功績をまとめてみましたが、鎌倉幕府を裏切り、その後後醍醐天皇とも戦い…と、主君を裏切る仁義に反する人見えるかもしれません。

しかし、その状況でも最後は勝ち続けたからこそ幕府を創設できたわけです。

では、なぜそれができたのでしょうか?

尊氏から学ぶ、豊かさマインド

それは部下からの「人望の大きさ」だと言われています。

尊氏のしたことは裏切りではなく、見方を変えれば、北条独裁体制への不満や建武の新政への不満など、世の声のために強きものを倒してきたとも言えます。

己の出世や権力掌握のためではなく、みんなのためという目的が強かったようです。

当時高名な臨済宗の僧侶の夢窓疎石(むそうそせき)は尊氏をこう評しています。

「仁徳があり、戦場では怯まず、敵を憎まず、物おしみしない器量の大きい人物」

尊氏はとにかく無欲で気前がよかったそうです。

この頃、8月1日に世話になった人に贈り物をする風習がありました。当然、武家の棟梁である尊氏には、贈り物が続々と届けられるのです。

しかし、尊氏は家臣たちにその贈り物をすべて分け与えてしまったといいます。

また、幕府を創設した尊氏はほとんどの権限を弟の足利直義にゆずり、自分は実質引退してしまいました。
(後に直義と尊氏の家臣である高師直との権力争いが勃発し両者とも死んでしまうため、結局尊氏が将軍として実権を握らざるを得なくなりますが…)

普通の人が望むような財産や権力へのこだわりが尊氏にはあまりなく、人に与えることが大好きなのです。

その太っ腹さと無欲さのため人望がありました。

さらに尊氏は、敵対することになってしまった後醍醐天皇にも常に和解を求めていたのです。

天皇が崩御されたときにも非常に悲しみ、後醍醐天皇のための寺も建立。

ときには敵に寝返った部下でさえも再び許しを乞われれば、わだかまりなく部下として重用します。

敵や裏切り者に対しても寛大でした。

だから、何度戦に負けても常に尊氏を支援する人たちが絶えなかったので最後は勝ってしまうのです。

『7つの習慣』の第4の習慣「Win-Winを考える」では、「豊かさマインド」必要だと書かれています。

無くなる前にまずは自分の分を確保するという「欠乏マインド」の人ではなく、人に与えればそれはいつか自分にも返ってくるという「豊かさマインド」を持つ人がWin-Winを実現できるのだと。

やはり古今東西器の大きい、太っ腹なリーダーが支持されます。

人に与えるとか人を許すという「豊かさマインド」結局自分に返ってきます。

だから最後はWin‐Winになるのですね。

尊氏のような人望やリーダーシップ、Win-Winについて学びたいと思われた皆さまは、ぜひ弊社の「7つの習慣(R)」セミナーお待ちしております。

PS
足利の山火事で注目された山の麓には織姫神社という神社があります。

その社の前に流れる川には大きな橋が掛かっています。

あるアーティストがライブで足利を訪れた際に、その景色の綺麗さに触発され、「渡良瀬橋」という名曲を作詞しました。

あ、尊氏とは一切関係ありません。森高千里さんの話です。

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この記事を書いたコンサルタント

大戸 浩基 (株式会社FCE)

5年間勤務した化粧品メーカーから97年に中小企業向けシンクタンクに転職。
2004年に教育事業を展開するFCEの立ち上げから関わる。
15年間で生徒への授業から各種社会人研修、企業経営者研修など幅広い講演やセミナーを実施。

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